得生寺~有田市プチ旅行②~
中将姫の寺として有名な
『得生寺』
御由緒
天平19年(747)に右大臣藤原豊成の娘として生まれた姫が
13歳の時に継母のため、奈良の都から糸我の雲雀山に捨てられ、
3年の間に称賛浄土経一千巻を書写したと伝えられています。
また、姫の従臣伊藤春時(剃髪して得生という)が姫を養育した所に
草庵をを結び、安養院と号したのが始めといわれているそうです。
「糸我得生寺の来迎会式」
紀伊国荒田郡雲雀山で中将姫を殺害せんとした武士伊藤春時は
姫の徳に打たれ殺害することが出来ず、名を「得生」と改め
姫をお守りすることになった。 これが得生寺の寺名のおこりである。
得生寺におまつりしてある中将姫のご命日にちなんで
毎年5月13、14日の両日盛大に行われるのが、この来迎会式で、
またの名を、「二十五菩薩供養」とも言い、姫のように美しく
聡明なお徳を得させてもらおうと子供達が二十五菩薩となって
お渡りするのである。
お詣りを終えて、境内の真ん中近くで、
両手広げて深呼吸
静かな気を感じて、空を見上げる
ご縁をありがとうございます🎵